「経済指標のウソ」を読んで

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1回目

一先ず、何となく読み通して抱いた感想は「モヤッと」という感じです。

日本語のタイトルは「経済指標のウソ」とあるので、経済指標のことを悪くいっているのかと思ったら、内容的には「経済指標が時代に合っていないこと、そしてそれを利用する人々の問題について」書かれていました。

原題がTHE LEADING INDICATORですからインパクト重視のタイトルなのでしょうか。

続き

2回目

そもそも経済指標は国家というものを捉えるために設計されたもので、個人といったミクロな対象についてはそもそも考慮していない。だから20世紀中ごろまでに開発されたGDPや失業率といったものは、個人の経済状況については何も語らない。

そして、こういった経済指標の数々は「物質的豊かさ」が欠乏していて、その充足を追い求めた時代に設計されたという時代背景がある。対して現代、とりわけ先進国においてはもはや「物質的豊かさの欠乏」は存在せず、「物質的豊かさ」とは違った豊かさを探している。物質的豊かさが十分に満たされた現代社会においてはもはや、さらなる「物質の生産」による繁栄は望めなくなっている。

GDPが繁栄の評価をするものとして意図されていなかったとしても、設計された当初はGDPの測定する生産高というものが、豊かさや繁栄の象徴であったため、そのような捉え方をしても問題なかったのかもしれない。ところが、豊かさの定義が物質によって定義できなくなった現代において、GDPをそのようにとらえることによって描かれる社会の姿は、実際とかけはなれたものとなる。

統計を取り巻く問題点として挙げられるのは

  • 事後評価としての指標が、意思決定に直接的でないにせよ大きな影響を持っている
  • 単純化された指標値だけが取り上げられることによる誤った理解。指標を出すにあたって隠蔽される物事を見落としてしまう。
  • 指標に対する、信頼性に対する疑い。政府が都合の良いように改ざんしているなど。
  • 複雑になりすぎた現代において、単純なものを求めてしまうというニーズと、さも単純な数字が絶対的なものであるかのように取り扱うメディア(だがそもそも人々の単純さに対するニーズが原因にある)

経済指標と向き合った人たち

大きな立場として

  • 経済は完全に測定可能な機械であるとする立場
  • 経済を完全に把握するのには限界があるとする立場

があったように思う。が、まだ上手くまとめられない。

3回目で使う文脈

  • 経済を取り巻く状況が大きく変化している現代に、既存の指標を使っても過去と比較を行う意義は?過去と大きく違うのなら、指標を変えることで比較ができなくても良いんじゃないの?

 

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