1回目の読書は疑問を自覚するために

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今回は、本を読むということについて考えてみました。

僕は正直言うと、自分が「何かをちゃんと考えているのか」とか「何を感じているのか」分かりません。考えているって言っているだけなのかもしれないし、感じているって思いこんでいるだけで何も感じていないのかもしれません。

読書をしていても、何かを感じ取ったのか、本を読んで何かを学び取ったのかよくわからないことが多いです。

まぁ、こういうことは考えたところで分かるわけもないし堂々巡りになるので、自分がそう思っている、それだけで十分でしょう。

で、出来るだけちゃんと読むにはどうすれば良いのか。

何回も読み返す

そのために、僕は何回も本を読み返すことにしています。

では、そもそも1回目の読書は何を目的に読んでいるのかというと

1回目の読書では、分からないということを自覚するために読んでいます。で、2回目ではこの分からないというコトを抱きかかえながら読み直しみるわけです。

以前「経済指標の読みかた」という本を読んだのですが、読み終わっての感想が「…で?」「…結局何が何だったんだろう」という気持ちになりました。もう少し時間を置いてみたら「そもそも経済予測って何のためにするの?」という疑問がわきました。これが2回目の読み直しで抱きかかえるべき「コト」です。

2回目は「経済予測は何のためにするのか」と言う疑問を胸に読み直すことで、同じ文章でも新たな発見ができるようになります。それは当然のことで、そもそも1回目は何となく気になったという理由だけで読んだだけなので、文章を読んでいてもひっかかることがなくても仕方ありません。ところが疑問を抱くことが出来れば、それは本に書かれている文章に含まれている「意味」や「違和感」そして「新たな疑問」に気づくためのきっかけになります。

本を読むことが魚釣りなら、本は池で、疑問は釣り針に引っ掛けた餌です。そして釣れる魚は新しい気づきです。餌をつけなければ何も釣れません。そして餌を変えれば釣れる魚が変わるように、読書でも疑問が変われば気づきも変わります。

経済指標のウソ、の場合

今読んでいる本は、経済指標のウソ、という本です。この間2周目が終わりました。

1回目では、言っていることが、言葉どおりの意味として理解することはできました。そして2回目の読みで使った疑問(餌)は

  • そもそも経済指標はなんのために生まれたのか。
  • 本文に登場してきた人々とそれぞれの立場。

でした。そして、新たに主要指標が設計された当時の社会状況と豊かさの定義について気づき、例えばGDPが設計された当時は、GDPの測定するものが豊かさや反映といったものとイコールの関係にあったからこそ、GDPが意図していない豊かさや、あるいは幸福といったものをそこから捉えても大きな問題がなかった、のかもしれない。

というように自分でまとめられました。正しいか間違って理解しているかは置いておいて。

2回目が終わってから思ったことは「過去と比較することができる、という指標の大きなメリットを失ってしまうために、主要指標を取り巻く変更が難しいとあったけれど、もはや過去と現在では経済を取り巻く状況が大きく異なっているにもかかわらず、それでも比較を続ける意義はあるのかな。そうして測定されたデータは結局、実際には存在しない世界を描いているだけなら無駄なんじゃないの。」ということです。

これが3回目の読書、あるいはまた別の本へとつながっていくことになります。

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